【学長対談2】2015年ノーベル医学・生理学賞受賞 大村 智先生
平成27年10月26日(月)
大村 智先生
(2015年ノーベル医学・生理学賞受賞、本学特別栄誉博士)
平成27年10月26日(月)、本学甲府キャンパスにおいて、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決定した本学卒業生で名誉顧問の大村 智先生に、「特別栄誉博士」の称号を授与しました。
授与式の後、大村 智先生と島田眞路学長の対談が行われました。
島田眞路学長(以下、島田学長)
大村先生、このたびのノーベル医学・生理学賞のご受賞、まことにおめでとうございます。
大村 智先生(以下、大村先生)
ありがとうございます。
島田学長
大村先生のノーベル医学・生理学賞受賞の決定は山梨大学の学生・教職員一同にとって大変誇りであり、また、地方大学にとって厳しい時代でありますが、とても励みになります。
大村先生
島田学長はじめ、たくさんの方から祝辞をいただき、本当に感激いたしております。本日は、「山梨大学特別栄誉博士」という称号もいただき、光栄に存じております。そして、数々の記念品や、いちばん嬉しいことに授与式で学生二人からお話もいただき、本当にありがとうございます。
島田学長
本日は、授与式にご出席いただくお時間を頂戴し、ありがとうございました。また、学生へ向けたメッセージもお話しいただきまして、まことにありがとうございます。「縁を、出会いを大事にする」「至誠惻怛(しせいそくだつ)、何事もまごころ、慈愛の心を持つ。そうすれば何事もうまくいく」「志を持ち、行動を起こすこと。幸運は高い志を好む」といった先生からの数々のお言葉は、学生にとって非常に励みになります。時間もピッタリ25分でしたね。
大村先生
講演などをするときでも大体時間どおりに終わるんですよ。
岩﨑 甫副学長(以下、岩﨑副学長)
体が覚えているんですね。もう少しお話ししたかったのではないですか。
大村先生
先生方がいらっしゃらなければもっと(笑)
それにしても、あんなに色々と記念品をいただけるとは思ってませんでした。次から次へ素晴らしいものをいただきました。また、記念室を作っておかなければいけないですね(笑)
それから、今日見た附属図書館の特別展はいいですね。自分の卒業論文に会えるとは思ってもみなかった。
島田学長
先生の卒業論文はずっと飾らせていただきます。
大村先生
発酵生産学科の助手の頃の写真。あれも懐かしいですね。
岩﨑副学長
ところで、本日の学生へのメッセージの際にも産学連携の話をされていましたが、私は医薬品の開発で日本のオリジナリティのある物を世界に出したいと思っています。最近は大学も良くはなってきましたが、肝心の企業との連携が上手ではないんですよ。先生のご経験から何かアドバイスをいただけますでしょうか。
大村先生
一番大事なのは日ごろのお付き合いです。それで信頼関係が生まれて、連携がうまくいくようになるんです。「いきなり」というのは無理です。
医薬品の話と言えば、抗がん剤にグリベック(ノバルティスファーマ社)という薬がありますが、そのグリベックの研究論文をさかのぼっていくと私の研究に繋がるんです。私がプロテインキナーゼ阻害剤であるスタウロスポリンという物質を発見しているんです。それから様々な開発が行われて、グリベックに繋がるんです。
島田学長
グリベックは白血病の薬でもありますよね。あれも治療を変えた薬で応用範囲もとても広い薬ですね。最初の論文が出てから製品になるまで40年ほどかかってますが、大村先生の論文はその前ですよね。
岩﨑副学長
私たちは第二のグリベックを作りたいと考えているんですよ。グリベックは癌が治ると希望を与え、治療を変えた薬です。発見された「スタウロスポリン」は実験室などで普通に使用されていますね。
大村先生
試薬会社に話を聞くと一番売れている試薬が「スタウロスポリン」と言われます。1mgが10万円でしたよ、当初は。今はもっと安くなっていますけど。プロテアソーム阻害剤であるラクタシスチンも私が単離したものです。
島田学長
そうなんですか。先生は基本のところを発見されているんですよね。
大村先生
根っこの部分を私が研究しているんですよね。スタウロスポリンは生化学を研究している人にとっては知らない人はいない。しかし、スタウロスポリンの実験をやっても、スタウロスポリンの引用論文は何もない。これはペニシリンの論文を引用しないのと同じことで、こうなった時が医薬品として本物になった証拠だということだと思います。
岩﨑副学長
研究者が素晴らしい発見をしても、日本で実用化するのがまだ難しい。海外の会社は早い段階から声をかけてくるが、日本の会社は遅い。何とか変えたいなと思うんですよ。
大村先生
政府はその辺りを期待していますよね。
岩﨑副学長
大学のものを企業に渡す課題を検討したいといった取り組みを行っていますよ。
大村先生
一番大事なのはコーディネーターですよ。企業で開発・研究に携わっているような方などになってもらった方がいい。
岩﨑副学長
アメリカは大学と企業の連携によって新薬を開発するメカニズムがあるんですよ。日本もポテンシャルは高いんだが、実用化する仕組みが上手ではないんですね。本日の先生から学生へのメッセージにあった山梨出身の小林一三の言葉「金がないから何もできないという人間は、お金があっても何もできない人間だ」ではないですが、お金がないとか、そんなリスキーなことはできないとかと言われてしまう。それで、なかなか話が進まないんです。
島田学長
先生はうまくメルク社とコラボされましたね。アメリカに留学されて、現地で様々な方との繋がりができてということでしょうか。
大村先生
アメリカ留学時の恩師・マックス・ティシュラー先生(アメリカの化学者)が偉大でした。最大の恩人だと思っています。
島田学長
ティシュラー先生の研究室を選ばれたのはどうしてですか。
大村先生
熱意ですね。留学の打診をしたら、翌日電報で返事が届いたんです。全部で5件ほど打診をしたのですが、他のところはしばらくしてから手紙が届いただけだったので、熱意を感じましたね。
Visiting research professor(客員研究教授)という立場もよかったです。行って教えることもできる。ティシュラー先生の研究室を任せてもらえたんです。そして私の能力をティシュラー先生が見て、メルク社を推薦してくれたんです。
岩﨑副学長
幸運もあったと思いますが、アメリカの大学の先生はいい意味でコネクションが非常に強いんですよね。サイエンティフィックな議論ができる。大学ができること、企業ができること、それぞれ違うわけなので、うまく連携しながらやっている。連携というよりはインタラクション(相互作用)を起こしてやらないと。 渡したらおしまいではなくて。研究段階から議論していると、失敗も多いかもしれないが、面白い研究開発ができるのではないかと思いますよ。そういう関係を作るのが、本当に必要だと思いますね。
島田学長
特許のことでも、ティシュラー先生が色々やってくださったんですよね。
大村先生
ティシュラー先生がとにかく面倒をみてくれましたね。研究費を確保するために企業を回ったんですよ。それをティシュラー先生も知っていて、メルク社にも行くようにと指示してくださったんです。売却を打診されたんですが、断って特許契約にすることになりました。
島田学長
それは、契約のセンスですね。ライセンス契約をするとなると、色々知らないとできないですよね。今でもそんな高額な特許はなかなか大学からは出てきませんよ。やはり、企業との橋渡しをどうするかが問題なんですよね。先生がアメリカに行かれていたのは2年ですか。でも、2年でも濃いんですよね。
大村先生
2年もいなかったですね。1年7ヶ月くらいですかね。その間に論文を書いて、ポスドクを使って研究室の采配をするし。論文は日本に帰ってきてからも書いたので、数えてはいませんが10報近く書いたと思います。
島田学長
短い期間にかなり書かれたんですね。
大村先生
アメリカのやり方を色々見てきて、いい部分もありましたが、自分さえよければいいといった部分もあって、それでは敵もたくさん作るやり方だなと思いました。ただ、アインシュタインが、将来は日本が世界に影響を及ぼして、世界をリードしていくと予言しているんですよ。
島田学長
それは期待に応えないといけないですね。山梨でも人材を育てないと。
大村先生
今、地方再生と言われていますけれど、私は20年前に山梨科学アカデミーを作りました。地方再生をやるならまずは教育からやらないと、ということです。体と同じで地方の細胞が強くならないと地方再生はできないですよ。それで、山梨がやって見せようということだったんですよ。山梨科学アカデミーみたいなものが全国にできればと思っていたんですが、真似する人が出てこないですよね。
島田学長
大村先生の受賞で、よいPRにもなりますね。是非、地方からの再生を。地方再生の機運が高まってきていますので。
大村先生
地方再生と言っても、教育が目立たない。やはり地方再生となれば、各地方にある大学の強化などから始めないといけないと思うのですが。
島田学長
おっしゃる通りだと思います。地方大学は運営費交付金の削減など非常に厳しい状況に置かれていますが、我々も頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。本日はお忙しいところありがとうございました。