島田眞路学長が山梨日日新聞電子版(さんにちEye)の「役員室 拝見!」に登場

2019年1月7日 トピックス

 山梨県内の企業・団体等の役員室の様子や役員のパーソナリティーなどを紹介する、山梨日日新聞電子版(さんにちEye)のコーナー「役員室 拝見!」に、本学が2019年1月7日(月)付で掲載されました。
 記事では、島田眞路学長が執務する学長室をはじめ、大村智記念学術館や医学部附属病院など様々な施設を紹介するとともに、島田学長の生い立ちから趣味や好きな食べ物などプライベートな一面も垣間見える、大変興味深い内容となっています。
 掲載内容は以下の通りです。ぜひ、ご覧下さい。
※掲載にあたっては、山梨日日新聞社の許諾を得ています。

———————————-(以下、転載)———————————-

■島田 眞路(しまだ・しんじ)さん 66歳
(国立大学法人山梨大学学長。京都・洛星中学校-洛星高校―東京大学医学部卒)

【山梨大学について】
 ルーツは1795(寛政7)年12月に設立された江戸幕府の昌平坂学問所の甲府分校「徽典館」。その後、山梨師範学校、山梨青年師範学校、山梨工業専門学校が統合されて1949(昭和24)年5月に旧山梨大学が開学。山梨医科大学(78年10月開学)と2002(平成14)年10月に統合して山梨大学が開学。04年4月に国立大学法人山梨大学が発足した。
 教育学部、医学部、工学部、生命環境学部の4学部、大学院、専攻科のほか、附属学校園、附属病院、附属ワイン科学研究センター、附属クリスタル科学研究センター、クリーンエネルギー研究センター、燃料電池ナノ材料研究センターなどがある。
 また、卒業生の大村智博士が2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞したことを記念し、甲府キャンパスに18年7月、「大村智記念学術館」を建設した。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災では、宮城県南三陸町に発災1週間後の3月18日から5月13日まで附属病院医療救護班を派遣し、当時の島田眞路病院長班を含め22班、延べ124人の職員が医療救護活動を通じて被災地の復興支援に当たった。特に初期救護班が持ち込んだパソコン、プリンターが医療統括本部の診療情報管理機能立ち上げに威力を発揮し、仮設薬局も一気に充実するなど、事務処理面でも貢献した。

【学長室について】
 山梨大学甲府キャンパス本部棟に約80平方メートルの学長室、山梨大学医学部キャンパスに約50平方メートルの学長室がそれぞれある。甲府キャンパスの学長室には国内外の主要皮膚科学会の名誉会員賞、ベストドクター賞など、数々の賞状、表彰盾を掲示してある。また、大村智記念学術館の完成を記念し開催したノーベル賞受賞者対談(大村智山梨大学特別栄誉博士と山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長の対談。進行は島田学長)の写真などを掲示している。そのほか、大村智博士が推奨する櫻井孝美氏の絵画作品や、宮の前遺跡(市川三郷町)から出土した約4500年前の縄文土器(深鉢型土器)を設置している。
 医学部キャンパスの学長室には大村智博士の「安身立命」の色紙額などが飾ってある。乗用車で約30分の距離にある甲府キャンパスと医学部キャンパスを一日に何度か往復することもあるという。

【島田学長のプロフィル】
 1952年4月、京都生まれ。幼少期はピアノや書道、絵画などの習い事をし、ボーイスカウトにも入団。母方の叔父が当時京大生で、「京大に行きたければ洛星中学校を受験したほうがよい」と勧められ、受験。洛星中学校で硬式テニスを始めたが、当時の体育教師から熱心に野球部に誘われ転部。「成績が下がると野球部に迷惑がかかる」と文武両道を実践し、成績はほぼ常にトップを維持。洛星高校では生物学の授業で医学や生物化学に興味を持ち、東大理科Ⅲ類を受験し、同高から初めて現役で合格。大学では父親の勧めでヨット部に入ったが、「どうにも調子が出ない」と医学部の野球部に入部。5年生のときにキャプテン。皮膚科学を専門に選んだのは、当時の皮膚科に野球部の先輩が多かったからだという。また、鉄門ゴルフ部(同好会)にも入ってゴルフを学び、今では最大の趣味になっている。
 77年、東大医学部を卒業。皮膚科学教室文部教官助手などを経て83年5月、NIH(米国国立衛生研究所)に留学。86年9月、大学の鉄門野球部の先輩でもあった初代教授からの誘いがあり山梨医科大学皮膚科学教室の助教授に就任。91年12月、東大医学部附属病院分院皮膚科科長、助教授を経て95年3月、再び山梨医科大学に戻り、皮膚科学教室教授に就任。統合された山梨大学医学部皮膚科学教室教授、医学部医学科長、附属病院副病院長などを経て2009年4月、附属病院病院長(15年3月まで)。15年4月から山梨大学学長となり、現在1期目の最終年。19年4月から2期目。
 研究分野は皮膚免疫学、メラノーマ。医学博士(1982年)。

【島田学長の主な役職】
日本研究皮膚科学会学術委員長(1997-2000年)
The Journal of Dermatology, Chief Editor(2000-11年)
日本皮膚悪性腫瘍学会;理事(2001 -16年 )
日本皮膚アレルギー・接触皮膚炎学会;理事(2002-16年)
独立行政法人大学評価・学位授与機構審査会専門委員(2003-17年)
日本研究皮膚科学会;事務局長(2002-05年)
日本研究皮膚科学会;理事長(2005-08年)
第5回国際研究皮膚科学会(京都);会長(2008年)
全国医学部長・病院長会議;理事(2010-14年)
国立大学附属病院長会議;監事(2010-12年)
日本学術会議連携会員(2011年-)
日本皮膚科学会;理事長(2012-18年)

【島田学長の所属学会】
日本皮膚科学会・日本研究皮膚科学会(SID)・日本免疫学会・日本癌学会・日本臨床免疫学会・日本小児皮膚科学会・日本皮膚アレルギー接触皮膚炎学会・日本皮膚悪性腫瘍学会・日本乾癬学会・日本がん免疫学会・日本医学会

【趣味】
・ゴルフ
 「父が(ゴルフを)好きだったこともあり、ゴルフを大学生の時に始め、今では最大の趣味になっている。大学の鉄門ゴルフ部(同好会)では6年生までプレー。大会などにも出場した。ハンディーは10だが、今はその実力はない。ベストグロスは37、39の76だが、今では年に4~5回プレーできれば良いほうで、90をきれれば上出来だ。パターが苦手で、迷いが生じることが多く、一緒にプレーした人から『イップス(精神的な原因でプレーに支障を来すこと)』と指摘されたことがある。ゴルフは同じスイングをしているつもりでも、なかなか同じスイングができるものではない。ゴルフは奥が深く、ゴルフを追求することは研究に通じるものがあると思う。今はイップスを克服するのが課題」
・野球
 「中学校から始めた野球は、大学や留学先でも続け、結局は皮膚科を専門分野に選ぶきっかけにもなったので、プラスの出合いだったことは間違いない。文武両道をモットーに、厳しく温かく指導していただいた中学・高校の時の先生にはとても感謝している。最近は野球をすることはないが、若い人にはぜひ楽しめるスポーツを見つけてほしい」

【座右の銘】
真実一路
「山本有三の小説の題名にもなった『真実一路』。真実を貫くというこの言葉から、父が眞路という名前を付けてくれたこともあり、この言葉を置いてほかにはない」

【好きなお酒・食べ物】
「お酒はほとんど飲めない。ビールはコップ半分も飲めば酔ってしまう。ワインはテイスティングで香を楽しんでいる。その分、グルメには目がない方で、若いころは東京でグルメ雑誌を見ながら有名フレンチレストランのランチに通った。今は和食が好み」

【出張の際の手土産】
「桃やブドウ、サクランボなど季節の果物を贈るようにしている。ブドウは今ではシャインマスカットが人気だが、私はピオーネが一番好物。桃は浅間白桃や白鳳など。貴陽などのプラムも絶品で交ぜて贈る。冬の時季は『枯露柿』が喜ばれる」

【メッセージ】
 法人化後、国からの運営費交付金が毎年削減され続けた影響で、国立大学法人は危機的な状況に置かれており、もはや回復不能な水準まできている。少子高齢の時代だからこそ、教育にもっと重点配分して優秀な人材を育てていく必要があるはずで、大学としての競争力を維持しなければ、これからの時代を乗り切っていくことは難しい状況。
 その中で、本学の卒業生である大村智博士のノーベル賞受賞は大きなインパクトのある画期的な出来事で、学生にも多くの希望をもたらしてくれた。よく考えてみると、大村先生の研究は数十年も前からの研究がようやく評価されたものであるように、今すぐ形として表れるものばかりでなく、人間の“知”を豊かにする研究も必要。結果や成果が出るまで時間がかかる研究に、日本はもっと目を向けていかなければ、将来、日本の研究レベルは必ず低下する。地域に貢献しようと必死に頑張っている地元の大学をもっと応援していただけるとありがたいです。

【団体データ】
法人名:国立大学法人山梨大学
創立:2002年10月1日 旧山梨大学と山梨医科大学が統合して山梨大学開学
04年4月、国立大学法人山梨大学が発足(ルーツは1795年設立の江戸幕府の学問所「徽典館」)
教職員数1940人、学生数4714人
・甲府キャンパス 甲府市武田4-4-37
・医学部キャンパス 中央市下河東1110

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